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境界線

【境界線】

 

「お前が全てを滅茶苦茶にした元凶だ、ドミニク・ブルンスマイヤー」

二人きりの薄暗い部屋でマリウス・シュトライヒャーは同僚であり相棒である男に銃を向けていた。

瞳に浮かぶのは怒り、声を震わせながらドミニクを睨みつける。銃を向けられている肝心のドミニクは眉ひとつ動かさず、マリウスを見つめて微笑んだ。

「だから何だ?お前の敬愛する育ての親である叔父さんを殺したくらいで喚くなって。癇癪持ちの子どもかお前は」

三日前、マリウスの育ての親である叔父が河川敷で殺されているのが発見されたのだ。叔父は銃で額を撃ち抜かれており即死であった。

現場検証が行われるなか、死体発見現場で見つかった一つの証拠ー・・・。

GSG9で支給されているハンドガン、P12の弾丸。内部犯の犯行だと言われ、それぞれが尋問を受けアリバイが証明される中でただ一人、犯行があったと思われる夜に不審な行動をしていた人物がいた。

そう、ドミニクである。

「俺がかつて人殺し、麻薬売買の罪で服役していたのをお前は知っているだろう?いつかまた、俺が人殺しするって分かっていて上の幹部は俺を泳がせていたんだよ。おっと…、そんなに睨むなよ」

「どうしてっ…!どうして俺の唯一の肉親である叔父さんを殺したんだよ?!あの人が何をしたって言うんだ、何をしたって言うんだよぉ…!」

マリウスは怒りからか瞳に大粒の涙を浮かべて手に持つP12を震わせた。ドミニクはそんなマリウスを見つめながら煙草の箱をポケットから取り出して火を灯す。

「…人を殺すことに理由なんて必要ないだろう?なぁマリウス、俺はお前の隣で毎日過ごす中で内に秘めた衝動を頑張って抑えていたよ。額を撃ち抜いた瞬間の叔父さんの顔、綺麗だったなぁ。赤くて温かな生が散る瞬間を見れたんだ。幸せだったなぁ…」

口から煙を吐き出してドミニクは不気味な笑みを浮かべてマリウスに近づいていく。

「撃つぞ、動くんじゃねぇ…!」

「お前に俺は撃てないよ、はは、だってお前は弱くて脆くて優しいからな。マリウス、お前も…」

ドミニクは懐からサバイバルナイフを取り出し、ナイフの柄をマリウスの首筋に押し当てながらうっとりと囁いた。

 


「大好きな叔父さんがいるあの世に逝かせてやろうか?」


ドミニクの瞳に感情なんてものは無くて、顔に浮かべているのは狂気という名の仮面だ。

マリウスは震える指をトリガーに当て、必死にドミニクの額を狙って引き金を引こうとした。

しかし指は言うことを聞かず、遂には銃を地面に落としてしまったのだ。マリウスはドミニクに乞うような視線を向けて呟いた。

「お、俺を殺せばお前は一生牢獄での生活になるんだぞっ…、今ならまだ取り返しがつく、だからそのナイフを仕舞えっ、頼むっ…!」

「,…馬鹿だろう?俺は服役を経験してるんだ。看守に取り入る方法だって、金を積めば出してくれることだって知ってる。なぁ、言い残すことはそれだけか?もう充分だろう、マリウス」

ドミニクはナイフを首筋から離し、隠し持っていた注射器をマリウスの首筋に思い切り突き刺した。

「な、に、を…」

「…さようなら、相棒。元気でな」

マリウスは薄れ行く意識の中、哀しげに微笑む男の顔を見て意識を手放した。

 

 

 

 

瞳を開ければ白くて清潔な天井、マリウスが意識を取り戻したのはドミニクと二人きりになった日から三日後の朝だった。

ズキズキと痛む頭を押さえながら辺りを見渡せばそこが病室だと言うことが分かる。

「…どうして…生きてるんだ…」

「目を覚ましたか、マリウス」

「エリアス…?あれ、俺…」

「まだ意識がはっきりしないようだな、三日前にドミニクがお前を背負って俺の家に連れてきたんだ」

マリウスの見舞いに来ていたエリアスの言葉にマリウスは身体を起こして声を荒げた。

「っ…、あの野郎は何処に…」

「…マリウス、あいつは…!」

「叔父さんを殺したんだよ!あいつが俺の人生を滅茶苦茶にしたんだ、あいつは俺から何もかも…!」

「マリウス!落ち着け!」

「何で俺を生かしてるんだ、何でだよ、ドミニクの野郎、あいつを殺してやる…!俺の人生を滅茶苦茶にした元凶であるあいつを…!」

「…これ以上黙っていられないから言わせてもらうよ、マリウス、ドミニクはお前の為に自身の手を汚したんだ…!お前を助ける為に自身の命を懸けて自ら手を汚したんだ!」

「意味が分からないっ、俺に何を信じろってんだ?!エリアス、お前もドミニクと共犯なのか?なぁ、俺の目を見ろよエリアス、お前もドミニクの肩を持つんだな!ぶっ殺してやる…!」

「落ち着けってんだ!」

乾いた音が病室に響き渡る。錯乱するマリウスにエリアスが平手打ちをしたのだ。マリウスははっとした顔でエリアスを見つめる。

「…少し冷静になれ、マリウス。ドミニクが俺たちを裏切る奴だと思うか?一番あいつの事を分かってるのはマリウス、お前じゃないのかよ?!」

「…何を信じれば良いか、もうわかんねぇよ。俺にどうしろってんだよ…」

項垂れるマリウスにエリアスは一枚の紙を手渡した。

「…マリウス、お前は自分自身の目で真実を確かめろ。何故ドミニクが自らの手を汚してまでお前を助けたのか。お前は目を逸らしちゃ行けない、絶対にな…」

エリアスから受け取った紙を握りしめながらマリウスはただただ彼の顔を見つめることしか出来なかった。

 

 

 


大事な奴を守る為には手を汚すしかなかったのだ。ドミニクは海が見渡せる丘に来ていた。誰も居ないこの場所でなら全てを終わりに出来る、ドミニクはそう感じていた。

「マリウス、お前に真実を伝えられない俺をどうか許してくれ」

海を見渡しながらドミニクは苦しげに呟いた。この丘から足を踏み出せば真実は一生秘められたままだろう。俺が居なくなれば全てが解決する。

心に残るのは後悔と僅かながらの希望だった。親友であるエリアスに全てを託した。本当の真実も、これから先のあいつのことも。

「お前を苦しめたい訳じゃなかったんだ、マリウス、お前が生きるにはこれしか方法がなかった。お前の相棒で居られた短い時間を俺は一生忘れない。じゃあな、マリウスー・・・」

ドミニクが丘から足を踏み出し、自らの命を絶とうとした瞬間だった。背後からそれを引き止めるように腕が伸びてドミニクを制止しようとした人物が後ろに立っていた。

「勝手に死のうとすんじゃねぇ、この大馬鹿野郎っ…!」

あぁ、どうしてお前が居るんだ!
どうしてこの場所にお前が居るんだよっ…!


…マリウスだった。

その顔には涙が浮かんでおり、今にも崩れそうなその表情はドミニクが一番見たくなかった彼の顔だった。

「…何で生きてるんだ」

「お前が注射して俺に投与したのは睡眠薬だ。それも絶妙な量をだ、お陰で三日間爆睡だった」

「そりゃあ良かったな、ただ今度こそ俺は容赦なくお前を…」

「俺を殺せないくせに、何を言ってんだ…!ドミニク、お前はいつだって自分勝手なクソ野郎だぜ本当に…!俺の為に、俺のせいでお前は手を汚したんだろう…?」

マリウスはドミニクの顔を見つめて泣きじゃくる。あぁ、お前の泣き顔が見たくないから俺は死のうとしたのに。

「…マリウス、俺は…!」

「俺は全てを受け入れる為にこの場所に来た。ドミニク、頼むから叔父さんを殺した理由を話してくれ…!俺は真実を全部受け止めるから…」

マリウスの瞳は必死だった。ドミニクは相棒であり、誰よりも大切に思っていた彼に結局は嘘を付けずにいた。

…ドミニクは苦しげに口を開き呟いた。

 


「…マリウス、お前の叔父は麻薬の密売人だったんだ。それもかなりタチが悪いタイプのな。俺はGSG9の幹部から貰ったデータを元に毎晩お前の叔父が取り引きで使う河川敷で取り引きの証拠を押さえる為に見張っていた。だけどあの人それに気づいていてね。『この事をマリウスに言って見ろ、GSG9のオフィスを潰しそして甥も殺してやる』と脅して来たんだ。麻薬を密売するだけじゃない、多重殺人の容疑で国際手配されてる極悪人だ。顔を整形で変えてバレないように逃亡していたみたいだがな」

初めて知る真実にマリウスは耳を背けたくなる気持ちを抑えながらもドミニクの瞳を見つめた。

「…だからお前は自らの手を汚してまで…」

「俺がこう言う汚れ役に相応しいのはお前も理由は分かるだろう?スパイとして潜入していた時にクスリを売って人殺しだってやらされて来たんだから。マリウス、お前の唯一の肉親だった叔父を殺したことには変わりない。一生恨まれても仕方ない、いや、復讐されて殺されても文句は言えないな。お前を守る為に罪を犯した俺をお前の手で殺せ。元々この仕事が終わったら死ぬつもりだったからな」

ぐしゃぐしゃの煙草の箱から一本取り出したドミニクは火を灯して煙草を吸い始めた。マリウスはドミニクに向けてP12の銃口を真っ直ぐと向ける。

「…ドミニク、俺が全てを終わらせればいいのか?」

「殺されるのならお前の手で殺されたい。お前にはその権利がある、マリウス、俺を見つけてくれてありがとう」

最後の一本だった煙草の吸殻を海に向かって投げ捨てたドミニクにマリウスは引き金を躊躇なく引いた。

乾いた音、
落ちた弾丸は叔父が殺された河川敷に落ちていたP12の弾丸だ。マリウスはドミニクの顔を見つめて呟いた。

 

 


「…俺は一生お前を許せないかも知れない」

 

 

 

 

ドミニクの頬からは一筋の血が流れ落ちていく。

「…何で外したんだっ…!」

「っ…本当にどうしようもない馬鹿野郎だなドミニク…!これ以上大切な奴を失くしたくないんだ、もう、これ以上俺を独りにしないでくれっ…、お前以上に俺は自分自身が一番許せない、狂気に気づけなかった自身が一番許せないんだ…!俺が叔父さんを止めていたらお前が手を汚す必要なんてなかったのに…!」

地面にP12を落とせばマリウスはドミニクの顔を見つめながら顔がぐしゃぐしゃになるくらいに涙を流した。

「…マリウス…、マリウス…」

ドミニクは泣きじゃくるマリウスの身体をそっと抱き締めながら彼の頭を優しく撫でて行く。あぁ、この手は俺の知ってる大事な相棒の手だー・・・。

マリウスは泣く事をやめずにドミニクの広い背中に腕を回し、気が済むまで泣き続けていた。

 

 


「…泣き止んだか?」

「おう…」

「マリウス」

「どうした…?」

二人は丘を下りながら歩いていた。ドミニクは足を止めてマリウスに穏やかな視線を向けて呟いた。

「お前の弾丸、確かに俺の心を撃ち抜いたよ。ありがとう、マリウス…。俺は俺の罪を背負ってこれからもお前をー・・・」

「ドミニク、お前は悪くねぇ。これ以上お前がお前自身のことを悪く言うのなら俺は本気で怒る。次こそ外しはしない」

マリウスはドミニクを睨みながら彼の前を行く。ドミニクは頬にできた傷を撫でながらマリウスの後ろをついていく。

 

(マリウス、俺はお前を守る為に命を捨てることを覚悟した。だけどそれ自体が間違いだったんだな。大切なお前にはもう傷ついて欲しくないんだ、だから俺は誓うよマリウス…)

「マリウス」

「何だよ」

「…これからもお前の隣に立っていいか?」

「…俺の背中を守れるのはお前だけだよ、ドミニク」

「…そっか、なら良いんだ。ありがとう、マリウス」

「変な奴」

マリウスはドミニクの方を振り向いて涙で濡れた瞳を細めて笑顔を浮かべた。この笑顔を、そしてマリウスの背中をこれからも俺は守って行く。

ドミニクは心に誓いながらマリウスと共に歩いて海の見渡せる丘を下りきった。

もう迷いはしない。

何よりも大事な人が隣に立ち並ぶことを許してくれたのだから